世界にはいろいろな宗教が存在しています。
仏教、キリスト教、イスラーム教など皆さんがいちどは聞いたことのあるものから、全く聞いたこともないような宗教まで
多数あります。
宗教と密接な関係がある葬儀、日本では多くの方が仏教形式でご葬儀をあげていらっしゃいますが、今回はキリスト教の葬儀に
ついてお知らせをいたします。
キリスト教の概要
キリスト教は、イエス・キリストを救い主であると受け入れる宗教であり、自らをキリスト教徒と呼ぶすべての人々を
包含するものである。
キリスト教には、その歴史的経緯から様々な教派、教団、組織、信条が存在している。
キリスト教は普遍的な宗教(世界宗教)であり、特定の民族や人種あるいは限定された身分や社会階層のためのもので
はなく、すべての人に向けられたものである。
実際、キリスト教は、異なる文化・多くの民族の様々な人々に広く受け入れられて、政治構造や社会状況および科学知識や
哲学思想、世界観の歴史的な変化、移り変わりがあった地域で何世紀にもわたって教団や組織を維持してきた。
日本でも多く使われる西暦が、救世主とされるナザレのイエスの生まれたとされた年を元年(紀元)としているように、
キリスト教は中世ー近代から推移してきた現代文明の根幹の形成に関与している。
中世における国教化されたキリスト教は宗教の自由を認めなかったため、異教との戦いによって支配域を拡大し、土着の
宗教に変えてキリストの福音を説いた。
異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立している
こと、ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立して
いること等が規定されている。
そうしたキリスト信仰に加え、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として絶対的に受け止めることもある。
また、異教との対話時にもキリスト者本人に、聖霊による神の言葉が具体的に顕現することが言われている福音書もある。
福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされている聖霊現象と深い
かかわりのあるイエス派運動成立の上で、黙示思想はその重要な背景として存在した。
キリスト教は、「旧約聖書」を聖典としていることから、唯一の神による天地創造から始まり、原罪とその救済が教義の
中心にある。
「旧約聖書」という呼び方はキリスト教において「新約聖書」と対応して名づけたもので、ユダヤ教の聖典の名称を
旧(ふるい)約束の意味に変えて用いているものである
キリスト教 各教会の葬儀観
キリスト教は歴史の中で、カトリック、プロテスタント、正教会などに分派しております。
それぞれの葬儀観はどうなっているのでしょうか?
厳密にはもっと細かく分かれていますが、今回はカトリック、プロテスタント、正教会の葬儀観について記載します。
カトリック教会
カトリック教会における葬儀観は、現代のカトリック教会の精神をもっともよく表している第2バチカン公会議の文書の
一つ『典礼憲章』から読み取ることができる。
同文書では「葬儀はキリスト信者の死の過ぎ越しの性格をより明らかに表現し、典礼色も含めて各地方の状況と伝統に
よりよく適応したものでなければならない」(81条)としている。
現代のカトリック教会における葬儀は、この文書をうけて改訂され、1969年に発表されたカトリック教会の儀式書『葬儀』
およびその各国語訳に基づいておこなわれているが、それ以前のものと比べると二つの特徴をあげることができる。
まず、第一は葬儀が「キリスト信者の過ぎ越しの性格を表現するもの」であると宣言されていることである。
つまり死が人間にとって完全な終わりではなく、キリストを信じることで永遠の命と復活への希望に入るものとなるという
ことである。
このことからカトリック教会では信徒の死を「帰天」と呼ぶことがある。かつてのカトリック教会では、死と関連して死後の
審判や煉獄や地獄の恐怖が強調されることが多かったが、そのような考え方もこの視点によって修正された。
これと関連して葬儀ミサ(レクイエム)で歌われた続唱などが、その内容がキリスト教本来の死生観から外れたものとして
廃止されている。
第二の特徴は、カトリック教会の葬儀は全世界一律でなく地域の文化に合わせる柔軟さを持っているということである。
日本においても当然固有の文化と伝統が尊重される。この精神に従って日本での葬儀では献花の他に焼香が行われることも
あり、カトリック信徒でない参列者が多数を占めることが多いという現実が配慮されている。
具体的には葬儀で用いられる用語や固有の表現は可能な限り避けられ、ミサに代えて「ことばの祭儀」を行いうることなどが
あげられる。
カトリック教会における葬儀は、死者のために祈ることももちろんであるが、残された生者のために祈る場でもあり、神が
悲しみのうちにある遺族を励ましてくださるよう祈ると同時に、キリストに結ばれたものとして、キリストが死んで復活した
ように自分たちもキリストの死と復活にあずかることができるという信仰を再確認する場でもある。
プロテスタントの葬儀は欧米では日中の葬儀・埋葬礼拝のみであることが多い。
キリスト教(特にプロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神と
イエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない
このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を「召天」と呼ぶことがある。
したがって、死とは、天国において故人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された者(遺族などの生存者)
にとっては、その別れが寂しく慰められるべき事であるが、死そのものは悲しむべき事ではないと説明される。
日本では通夜の代わりに「前夜式」を行なうことがある。
正教会
ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の葬儀は、埋葬式と呼ばれ、主に連祷と、無伴奏声楽による聖歌から構成されている
(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)。
永眠した正教徒が、神からの罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命に与ることを祈願する
ものである。
正教会では「逝去」「亡くなられた」「故人」ではなく、それぞれ「永眠」「永眠された」「永眠者」の語が用いられる。
これは、正教会においては死は来世の復活の生命に与るまでの一時的な眠りとして捉えられている為である。
埋葬式の前晩にはパニヒダが行われる。正教会においては終夜、永眠者のために祈ることは初代教会から大事にされた伝統
であるとされ、前晩のパニヒダを通夜と呼ぶ事もあまり忌避されない(「パニヒダ」の語源がそもそも「夜通しの祈り」
という意味である)。
また、永眠後の「三日祭」「九日祭」「四十日祭」「一年祭」「年祭」にもパニヒダが行われる。
正教会においては死は忌むべきものではなく復活への入口であるため、このように「祭」の語彙が用いられる。
日本での葬儀
上記ではカトリック教会、プロテスタント、正教会の葬儀観について記載しましたが、それぞれの日本での葬儀は
どのようになっているのでしょうか?
日本で各教派がどのように葬儀を行っているのか、記載します。
カトリック教会
先にのべたように地域の文化への適応という考え方から、現代の日本におけるカトリック教会の葬儀では、「通夜」および
「葬儀」という流れに沿って行われる。
六曜「友引」に葬儀を控えることは本来はないが、火葬場が休業日になっているために日をずらすことはある。
参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合などは、参列者に配慮してミサに代えて「ことばの祭儀」が行われることも
ある。
通夜では聖書の朗読、聖歌、死者のための祈り、棺への献香と参加者による献花あるいは焼香、遺族代表のあいさつなどが
行われる。
通夜は教会で行われるとは限らず、自宅や葬儀場で行われることもある。葬儀は教会での「葬儀ミサ」という形で行われるが、
状況に応じて自宅で行われる場合もある。
ラテン典礼の「葬儀式次第」には、葬儀の行われる場所(家、教会、墓地)によって3種類の葬儀の方法が示されている。
葬儀は、通常4部で構成されている。
一般的な葬儀ミサと通常のミサとの違いは、会場が葬儀にふさわしく装飾されることと、聖書の朗読箇所・聖歌・祈り・説教
の内容などが葬儀にあわせて選ばれるということである。
ミサとあわせるかたちで続けて告別式と葬送が行われる。告別式では一般的な葬儀と同様に、故人の紹介、弔辞、弔電の紹介、
献花、遺族代表のあいさつなどが行われる。
通夜および葬儀の時に用いる司祭(助祭)の祭服の色は、各地方の状況と伝統に適応したものを使用できる。
かつては黒が用いられていたが紫で代用されることが多くなり、近年は(復活の希望を表す)白を用いることも勧められて
いる。
また、死後特定の日に集まって故人を弔う日本の習慣にあわせ、一周忌や命日などに故人のための命日祭(記念の集い)が
行われることもある。
カトリック教会では11月を「死者の月」(11月2日を「死者の日」)と定めているので、死者のためのミサや追悼の祈りが捧げ
られる。
プロテスタント
プロテスタントの葬儀は日本においては仏教の葬儀様式に慣れた参列者の便宜を図り、前夜と当日との2日にわたって典礼を
行うことが少なくない。
この前夜の式典は、呪術的な必要から遺体を不寝番することを意味する「通夜」を避け、「前夜式」「前夜の祈り」などと
呼ぶ。
前夜式は自宅で行う場合もあるが、教会堂で行うことも多い。
告別式の式典は礼拝そのものであるため、その式次第は基本的に通常の日曜日の礼拝と同じであり、故人が地上で行う最後の
礼拝と意味付ける教派もある。
従って、基本的に教会堂で行われ、祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などにより構成される。これに付随して、友人など
による追悼の辞、遺族の挨拶、献花などが追加されることが多い。
故人の略歴の紹介・記憶の披露などは、牧師の説教に組み入れられることも別個の項目となることもある。
キリスト教徒の比率が低い日本では、参列者はもとより遺族すらキリスト教徒で占められる事は期待できないため、
宗教的純潔主義の主張より地域の習俗を重んじる者らへの配慮が優先される。前夜式を設定したことは既出だが、焼香に
代わる献花、「香典」「仏前」に代わる弔慰金の名目「御花料」などは皆その為に案出され、後に信仰的意義付けを為した
ものである。
同様の理由で六曜「友引」には葬儀を控えるが、これには大抵の火葬場が休業であるという止むを得ない事情もある。
また、死を穢れと見なさないため「清め塩」は使わない。
正教会
正教会では世界的に見ては土葬が基本であるが、日本正教会では諸々の事情により止むを得ず火葬が行われている。
正教会の奉神礼(礼拝)は立って行うことが基本である。起立する姿勢は伝統的に「復活の生命に与って立つ」ことを
象徴するとされるからである。
従って司祭・輔祭・詠隊(聖歌隊)は勿論、参祷者も埋葬式の間は継続して立ち続ける事が求められている。
ただし無論、身体障害者や高齢の参祷者はこの限りではない。
正教会でも(埋葬式やパニヒダに限定されず)香炉は用いられて大切な習慣と位置付けられるが、振り香炉を扱うのは
司祭と輔祭であり、参祷者が香炉に触れる事は無い。参祷者が永眠者と対面する際には、棺への献花の習慣がある。
正教会のパニヒダと埋葬式では、「永遠の記憶」と呼ばれる祈祷文が唱えられる。輔祭(輔祭が居ない場合は司祭)が
永眠者の霊(たましい)の安息を願う祈祷文を朗誦した後、「永遠の記憶、永遠の記憶、永遠の記憶」と三回歌われる聖歌を
以て終結するもので、人を生かす、神による永遠の記憶が永眠者に与えられるように祈願する祈祷文である。
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