お経はどのような経緯で生まれたの?
お経とは何でしょう?
お経を一言で表現するのならば、『仏の説いた教えを書き記したもの』です。
仏教の創始者である、お釈迦様は、今から約2500年ほど前、北インドのカピラ国(現在のネパール領内で、
インドとの国境に接している地域)の王子として生まれました。
そして『四苦(しく)』と言われる『生老病死(しょうろうびょうし)』をはじめ、様々な苦しみや悩みから人々を
救いたいと決意され、29歳で出家しました。
その後、6年もの間、厳しい修行を積み重ねました。
しかし、肉体を苦しめるだけでは、真の悟りは得られないと実感し、そうした苦行法を捨て去りブッダガヤの菩提樹の
下で瞑想に入り、大いなる悟りを得たと言われています。
そこで、『悟りを得た者』とか『真理に目覚めた人』という意味で、『仏陀(ぶっだ)』とか『釈尊(しゃくそん)』と
呼ばれています。
35歳で悟りを開いたお釈迦様は、入滅(聖者が亡くなるという意味)する80歳までインド各地をめぐり歩き、人々の
ために教えを説いていきました。
このように、お釈迦様が様々な地で、様々な人たちに説法したものが、お経となったのです。
お釈迦様が亡くなった後、弟子たちは教えを口から口へと伝承していきました。
しかし、そうして語り継いでいくうちに内容が変わってしまう恐れがあるので、お釈迦様が亡くなって1年ほど後に、
阿難や迦葉といった弟子たちが経典への編纂会議を行いました。
お経の冒頭にはよく『如是我聞(にょぜがもん)』という言葉が出てきますが、これは編纂会議の席上で弟子が、
『このように私は聞きました』とお釈迦様の教えを述べたことに由来します。
他の弟子たちも「その通りである」と承認されたものが、お経としてまとめられました。
これが『結集(けつじゅう)』といわれるもので、その後、300年ほどの間に3回行われたといわれています。
お経にはどんなものがあるの?
最初にまとめられたとされるお経が『阿含経(あごんきょう)』です。
この阿含経が小乗仏教の経典となりました。
それに対して、西暦紀元前後のころから大乗仏教が起こり、多くの大乗仏経典がつくられるようになりました。
大乗仏教では、まず『般若経(はんにゃきょう)』が作られて、続いて『法華経(ほけきょう)』『維摩経(ゆいまきょう)』
『阿弥陀経(あみだきょう)』『華厳経(けごんきょう)』『涅槃経(ねはんきょう)』『楞伽経(りょうがきょう)』など
が作られ、紀元6世紀ごろに密教のお経である『大日経(だいにちきょう)』や『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』など
がつくられました。
こうした大乗仏教のお経に対して、小乗仏教の側から、そうしたものは仏が説いた教えではないといった非難が起こりました。
しかし大乗仏教を支持する僧侶は、出家・在家の区別なく、あるいは男女の差別なく救われる大乗仏教こそお釈迦様の教えの
真理にかなったものでり、優れていると主張しました。
小乗と大乗の違いは何かといえば、文字通り小乗とは小さな乗り物、大乗は大きな乗り物です。
つまり小乗仏教とは、出家して厳しい修行を乗り越えた者だけが悟りを開くことが出来るという教えであり、それに対して
大乗仏教は、どんな人でも悟りに至らせる乗り物だということです。
また、お釈迦様のとらえ方も小乗仏教では、仏=お釈迦様であって、仏の教え=お釈迦様の教えなのですが、大乗仏教では
仏=超越的な存在であり、その超越的な存在の化身として、この世に出現したのが、お釈迦様であるとしています。
こうして、後世に成立した経典でも仏の心理を説いたものは、お経(経)とされ、さらに修行僧として守るべき戒律を説いた
もの(律)や菩薩や高僧が書いた教理の詿釈書(論)もお経に加えられるようになりました。
この経、律、論を『三蔵』といいます。
蔵とは「入れ物」のことで、経、律、論をしまっておく入れ物という意味です。
三蔵のほかに中国の高僧などが書いた仏教書が加えられて一切経が成立し、『大蔵経』と呼ばれるようになりました。
現在、日本でもっとも多く利用されているのが、大正末期から昭和初期にかけて編纂された「大正新脩大蔵経」です。
そのほか、道元禅師の『正法眼蔵』から抜粋した『修証義』や親鸞聖人の『正信偈』など日本の仏教各宗派の宗祖や
高祖の説示も同様にお経といっています。
このようにお経は「八万法蔵」とか、「八万四千の法門」と言われるように、膨大になっていきました。
「八万」とは多数・無数を表す言葉であり、それほどたくさんあるという意味です。
したがって仏教には、キリスト教の『聖書』やイスラム教の『コーラン』のように唯一の聖典という限定されたものは
ありません。
お経の中身はどんな話?
お経には何が説かれているのでしょうか?
一般の人たちがお経に接する機会といえば、葬儀や法事の時がほとんどではないでしょうか。
しかし、僧侶の読経を聞いていても、音読みがほとんどであり、しかも、現代の音読みとは違った漢音などの読み方を
するものもあるので、その意味を理解することは難しいです。
また、密教ではサンスクリット語を読むこともあるので、なおさらわかりません。
また、葬儀や法事の場でしかお経を聞いたりする見たりする機会がない人は、お経とは死者の冥福を祈るために読むもの
だと思っている人も少なくないでしょう。
もちろん、死者に対する供養という意味もありますが、お経に説かれていることは人間としての本当のあり方、生き方
についての指針なのです。
この世に人として生を受け、その生をどうやって全うするかを教示してくれています。
仏教の究極は、成仏することにあります。
もともと成仏とは亡くなった後に仏になるという意味ではありません。
お釈迦様は、全てのものには仏となる性質、すなわち仏性(ぶっしょう)があると説いています。
自分の身にそなわっている仏性に目覚め、悩みや苦しみを乗り越えて生き生きとした生き方をする。
そうした生き方そのものが、いわゆる「成仏」という状態なのです。
自分の可能性を大いに発揮して自己実現をはかるだけでなく、他人や社会のために自分のできることをしていく
こうした生き方を求めていきなさいとお釈迦様はいっているのです。
お経のすばらしいところは、説法を聞く人の機根(その人のおかれた環境や人生観、知識の程度など)に合わせて
ある時は身近なたとえ話に用いたり、インテリには理論的に語るといった縦横無尽さがある点です。
お釈迦様自身が、人間として苦悩し、それを克服し、すべての人を救おう、成仏させようと教え導いてくれた大慈悲の
あらわれであるといっていいでしょう。
そして、数多くのお経がある背景には、様々な人を悟りの世界に誘うために様々な道を示したということがあるのです。
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